2024年07月24日
7月22日は欅の森書道会、教室の開講日でした+正気の歌について

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(いつもの土手の風景。山の稜線に日が落ちて行く、
稲が田んぼの中で育って来ており、視界に青が増えて来ましたね)
こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会、お馴染みWeb担当の宗風と申します。
本日は、いっぱいのお運び様でありがとうございます。
しばらくの間のお付き合いを願っておきますが…。
暑くなりましたねぇ、
そして蚊も元気いっぱいに飛び回る時期になって参りました。
蚊の来襲は本当に如何ともし難いですよね。
気が付くとやられている感じ。
ご苦労も多くなりつつ、7月22日も書道教室、開かれておりました。
次回は8月5日、競書の課題提出日となっております。
今回、樋口玄山先生に指導して頂いた内容を活用し、
再びお集まり頂けますよう、よろしくお願い致します。
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今後の予定、教室の開講日以外の内容は、こちら。
第14回 欅の森書道展
→2024年10月4日(金) - 2024年10月6日(日)
第42回信州書象展
→2024年11月29日(金) - 2024年12月1日(日)
第65回松本市芸術文化祭参加 松本地区書道展
→2024年10月12日(土) - 2024年10月14日(月)
長野県書道展
→2024年12月13日(金) - 2024年12月15日(日)
また松本市美術館のコレクション展示、7月23日から第2期となっております。
上條信山記念展示室、今期は絵画の展示です。
以上です。
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前回、全て書き上げられませんでした条幅の課題、
「凛冽万古心」について、続報…となるか分かりませんけれども、
書いて行きたいと存じます。
検索の上ですと、この言葉に行き当たらないのは変わらず。
「凛冽萬古在」、南宋時代の文天祥の「正気の歌(せいきのうた)」に由来があるとして、
この漢詩にまつわるお話をお伝えできれば、と存じます。
“忠臣の鑑”として現代に伝わる軍人、政治家とのこと。
彼の「正気の歌」は日本にも伝わり、幕末の志士に愛されました。
滅びゆく宋の臣下として戦い、
続く元からも才覚を認められ、勧誘を受けるのですが、
宋の臣下である、その心を変えることなく死を選ぶ…
捕虜と言う立場ですから、元の為に生きるか、次代を見ずに終わるか、
その中で死を選んだと言うのは、
尊王攘夷、死しても天皇制の復権の為に戦った志士に受け入れられた、と言う事ですね。
「凛烈として万古に存す」
「凛冽たる万古の心」
厳格さを尊いものとし、永遠に続く、象徴的である。
その厳格さは「正気」、信念そのものである。
想いを、強くすれば永遠に続く…と言うことで。
「老子」においても他でもそうなのですが、
翻訳されて日本に入る時に、
翻訳者がどのような思想として理解するか、で意味合いが変わります。
調べてみると、
「正気の歌」は江戸時代中期に浅見絅斎が「靖献遺言」にて伝え、
その後、藤田東湖、吉田松陰、少し時代が現代に近づいて広瀬武夫などが、
彼らなりの「正気の歌」を作っている様です。
私自身も調べて行く中で、
藤田東湖の「正気の歌」、「和文天祥正氣歌」が有名であると知り、
詩に触れてみると、
なるほど、文天祥の境遇と重なる部分も多く、
ほのぐらい牢の中に幽閉された状態であっても、
けして諦めず、強く心を輝かせ、燃やしていた意志に触れる事が出来ます。
藤田東湖は最終的には文天祥の様に死ぬことは無く、
政治の世界に戻って行くのですが、
1855年の安政の大地震で母を庇って亡くなっているので、
その地、藩邸跡である現在の東京都文京区に
「藤田東湖護母致命の処」と記した案内板があり、
また記念碑は移設され、小石川後楽園にあるのだそうです。
こう、藤田東湖の「正気の歌」には歯を食いしばって、
噛み締めて血を流し、グッと睨みつけるような迫力を感じます。
最後まで消えない、目に宿る光こそが正気として感じられるのです。
吉田松陰の「正気の歌」は長州山口県から江戸東京都に向かう…
…今生の別れと思って出頭して行く中で読んだもの。
聖賢雖難企 吾志在平昔
願留正氣得 聊添山水色
聖人、賢人になることもまた難しいが、
私には昔からずっと持っている志がある。
願わくば正気を留め、
(道中、思いを巡らせた地域、また日本の偉人たちの様に)
少し山水の風景に色を添えられると良いな、と。
道中、山口県から東京までの道で景色を眺めつつ、
その地域や思い立つ偉人の功績を思う描写があり、
最後に、自分自身も、もうダメだろうけれども、
後世、残して来た教え子たちが、
吉田松陰を思い出し、また思って、
「そう言う人がいたんだ」と覚えておいてもらえたら、
そこに「正気」があれば良いなぁ…と言う。
そんな風に個人的には読む事が出来るものでした。
風流さがあり、しかし執念はあまり感じないかな…と言う印象。
でもやはり、譲れぬ思いがあり、
その「正気」の不滅を祈る、信じる内容だと感じました。
上條信山先生が「凛冽万古心」を揮毫される際には、
おそらくは、この文言を心に置いてらしたのではないか、と想像しています。
真実は分かりませんが、
心の在り様を強く歌った歌こそ「正気の歌」ですので。
以上、
書道教室のご報告と言葉の解説を申し上げました。
最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとう存じます。
それではまた次回。
ありがとうございました。
ありがとうございました。