2025年05月13日
5月12日は,欅の森書道会5月1回目の研修日でした+条幅課題「有何比松柏」について。

・
・
こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会のウェブ担当、宗風でございます。
お馴染み様です。
ゴールデンウィークを挟みまして、普段の2週ではなく3週ぶりの研修日となりました。
何だか、たった1週であったとしても「久し振りだ」と感じてしまうものですね。
まだまだ寒さの残る季節だった4月から、
朝晩に少し気温は下がりますが、新緑が目に鮮やかに、
暑い季節を予感させる風景になって参りました。
端午の節句、5月5日が暦の上では立夏でありまして、
普段ですと「暦の上では夏とは言っても…」なんて四季時期に口々現れたりいたしますが、
どうでしょうか。まぁまぁ「立夏」のような雰囲気を感じるのは、
それは温暖化由来だからこそ良いとは言えないのでしょうけれど、
季節の巡りを感じたりするものですね。
次回は5月26日の予定となっております。
次の競書は5月15日頃の到着となっておりますので,
この課題に取り組んで、またお会いいたしましょう。
昨日12日,後半の部は賑わっておりましたね~。
月例の競書の〆日でもあり昇段昇級試験の〆切でもあり。
季節が良くなったからこその明るさもあったんじゃないかなぁ、などと感じます。
トピックスとしては、
6月23日の総会が目下、
私達、欅の森書道会としては予定としてありますね。
総会があり、添削の場所も普段と異なりますので、ご予定ください。
・
・
ちなみに昨晩は教室の風景を写真に撮り忘れましたので、
信州中野市・一本木公園のバラの写真で、ブログの冒頭を飾りつけております。
ご縁あってライフワークのようなもので、
宗風、SNSにバラの写真を1日1枚ずつ投稿して何年も…になります。
その中から1枚と言ったかたち。
5月24日から毎年恒例のバラ祭りが催されますので、
出掛けて行って1年分の写真を撮る予定でおります。
・
・
さて、毎度恒例の競書誌「書象」の課題の中から、
取り上げられた語句の解説を行いたいと存じます。
これから取り組む2025年6月号の条幅課題はこちら。
「有何比松柏」の5字。
AI技術なんかも使ったりして検索を掛けてみましたが、
出典を見つけることができませんでした。
書き下し文もピタッと来るものが分からず、
おおよその意味は「松柏に何を比べられるだろうか」と言う意味だと考えます。
松や柏と言う堅固であり常緑による長寿健康の意味も含む字、また樹木。
古来よりその姿も含めて縁起の良いもの、壮健である様に用いられていますよね。
これと何が比べられよう、つまりは「とても美しい!」と言いたい。
そんな一句だと思います。それこそ漢詩にありそうなのですが。
ちなみに松の常緑ぶりは普段からもご案内かと存じますが、
一般に「柏」と言えばナラやクヌギのようなブナ科の仲間であり、
これは落葉のある木ですから常緑樹ではありません。
しかしながら、漢詩や中国文学の中では「柏」を指して、
常緑樹のヒノキやスギを表す場合もあるのだそうです。
「堅固」のような「かたい×かたい」と、同じ意味を重ねて作る言葉として、
きっと「松柏」は一緒くたになっていると思うので、
今回の詩の「松柏」は青々とした緑を思い浮かべて良いのだろうな、と考えています。
李白に「松柏本孤直 難為桃李顔」と言う詩の一部があり、
松柏は孤高であり、桃李にはなれない…と言う意味で、
松柏、常緑への憧れ、絶対性を感じますね。
李白の感じた孤高さこそ「有何比」の今回の言葉に通じている、と感じます。
何と比べられようか、何と比べれば良いのだろう、と。
…と、こんなところでちょうどお時間となっております。
それでは本日はここまで。
書道をまた励んで参りましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年04月22日
4月21日は4月2回目の研修日でした+各種お知らせ+「澹澹長江水」について。
・
・

こんにちは,あるいはこんばんは。
信州塩尻市,欅の森書道会のウェブ担当,宗風です。
お馴染みさまでございます。
本日も気楽なところで一生懸命…と言うことです。
昨晩も欅の森書道会,教室は賑わっておりました。
書象展への出品が終わり,今度は昇給昇段試験が掛かり,
また作品制作が無いからこそ,日々のお稽古では,
競書にて基本を更に深めて行くような。
春の催し物,お誘い多い時期となって,
皆々様,お忙しくされているのではないでしょうか。
朝晩の冷え込みと日中の暑さとの寒暖差も激しくなっておりますので,
どうぞご自愛しつつ,楽しんで行こうではありませんか!
…なんてンで,そう言う時節の挨拶といたしたいところであります。
・
さて,次回の欅の森書道会の研修日は5月に入ります。
5月12日となりますが,ここにご連絡事項がありますので,
要注意,となります。
5月12日は競書の作品の提出日です。
併せて,昇給昇段試験の提出日ともなります。
その次が5月26日と,20日の〆日を過ぎますので,
上記の予定となりますことをご承知おきください。
よって,昇給昇段試験の受験料の納入も5月12日となります。
ご用意をお願いいたします。
また月々のお月謝についても,
6月の欅の森書道会の総会を前に,会計監査が行われますので,
5月12日に必ずお持ちいただくようにお願いいたします。
また6月2日には欅の森書道会の理事会が18時から。
この時間は添削を一旦止めて,理事会の時間を持ちます。
教室そのものは開いておりますので,
中で待つこともできます。
6月23日(月)は,いつもの広丘吉田の欅の森書道会の教室ではなく,
総会開催のため,松本市の燦祥館にて16時から添削となっております。
添削会終了後に総会,そして懇親会が予定されております。
ご承知おき,またそれぞれ参加か不参加については,
教室の名簿に記入するか,ご連絡をお願いいたします。
以上,ご連絡事項でした。


教室の風景をトップに配置しましたが,
ご厚意にて車を置かせていただいている,
公民館からの道すがら,
川べりの風景は好きで,その写真をば。
良い風が吹く,また夕暮れの美しい光に出会える季節になりましたね。
・
・
さて今回も課題に用いられている言葉,
この出典や意味などを解説いたしまして,
お開きとさせていただきます。
競書誌「書象」2025年5月号の課題から,
[澹澹長江水],「澹」は「タン,しずか,あわい,うすい」と読む,とのこと。
「しずか,おだやか,やすらか」と言った意味だそうです。
書き下し文では「澹澹(たんたん)たる長江の水」となります。
長江については幾度となく漢詩の世界では登場しますね。命の源、また文化の源。
大河,その流れが静かである様を表現しております。
この出典を検索してみましたが,昨今のAIを含めても探してみて,
発見できませんでした。AIが言うには,課題の為に作られた言葉、句の可能性もある…とのこと。
本題とは関係ありませんが,この「澹」と言う字によく似て,
サンズイではなくリッシンベンの「憺」の方が,どうでしょう…
「見たことがある漢字だな」と思いました。
小説など読んでおりますと「惨憺たる光景」と言う様な使われ方をしますね。
「憺」には「惨」と言う字と重ねるにふさわしい,
「おそれ,おそれさせる」と言う意味もありますし,
「澹」の持つ「あわい,うすい」意味は無いものの,
同じく「しずか」と言う意味があって,
パソコン上の変換でも「サンタン」は「惨憺」と「惨澹」がどちらも候補になります。
意味としても問題ないですものね。
こうして字や句について調べておりますと,
既存の知識に更に深みが増すように感じます。
更に調べると「淡」の旧字として「澹」が使われることもあるのだとか。
ただし「しずか」と言う意味を「淡」は持ちませんから,「使われることもある」です。
書象展の作品で素風さんが「恬淡(てんたん)」を揮毫されておりましたが,
つまりは「恬澹」でも良いと言うことですね。
「あっさりとしていて,名誉・利益に執着しないさま」を言うそうです。
…と言うことで,本日の一席,ブログはここまで。
ちょうどお時間となったようでございます。
それではまた次回。
5月になればまた「工芸の五月」で松本が賑わいますね。
書道と言う文化もまたどこか広がりが生まれれば良いのですが。
それでは。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年04月08日
4月7日は欅の森書道会4月1回目の研修日でした+「書象」2025年5月号課題「日暮隄上立」について

・
・
こんにちは,あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会,お馴染みウェブ担当の宗風です。
本日もいっぱいのお運びさま,誠にありがとう存じます。
気楽なところで一生懸命…と言うことです。
終いまで,どうぞお付き合いのほどを願っておきますが…。
さて。
新年度が始まり,春の全国交通安全運動が始まりましたね。
今朝も朝から白バイとすれ違いました。
シートベルトはしている,スマホはもちろんカバンの中,
何も悪いことをしていなくても,
でもやっぱり何だか怖い…なんて言うのは、
皆々様,共通の心情ではないかなぁ,なんとは思います。
日中は暖かくなりましたですねぇ~。
朝晩は,やれ冬の再来かと言うくらい寒くも感じるのですが,
はて温度計を見てみると氷点下でもなかったりして,
寒く感じはしていても,春になったんだと,そう思う次第でございます。
4月7日は,欅の森書道会の4月1回目の研修日でした。
池口さんがお見えにならないせいか,
ちょいと静かな教室でしたね。やっぱり居て下さらないと寂しいですね。
樋口玄山先生が膨らんだ封筒を二木さんに手渡しておいででした。
「更にいくつも書いて来て,すごい方だな」と。
書象展の作品だったのでしょう。その意気を買っておいででした。
そんな玄山先生も無事にお戻りになられたでしょうか。
折しもETCがえらいこっちゃ,未曽有の大問題となっており,
欅の森書道会ですと,
そう,我らが玄山先生がモロに影響を受ける訳でして。
信州にお見えになる際は,ちょいと不安もありながら,
途中のSAなどで情報を得ながらお出でになりつつ,
特段,長い待ち時間などの被害を受けることなくご到着されたそうですが,
さて,お戻りはどうでしょうか。
お疲れもあると存じますので,穏やかに過ごされると良いなと思います。
4月7日は競書の提出日ともなり,
皆々様の意気ある作品が集まって旅立って行きました。
昇段昇級試験が今月,来月とありますので,
今月号の漢字条幅課題と臨書規定【行書】,
来月号の隷書条幅課題,臨書規定【楷書】,仮名,硬筆が対象になります。
師範を目指して励んで参りましょう。
ご連絡として以下の掲示がありました。
総会の関係でお月謝の集金日に指定があります。
5月は教室が12日と26日にありますが,
12日のみ、お月謝を集金する形となります。
以上,ご連絡などなどでした。
・
・
さて例によって,
玄山先生から条幅課題のお手本を頂戴いたしました。
今回は「日暮隄上立」とあります。
「隄」は見慣れない漢字ですね。
「堤」と同義で,漢字検定上も「配当外」の字なのだとか。
読みはテイ,つつみです。
この一句が含まれる漢詩は清代の儒学者「汪 中(おう ちゅう)」の「大堤曲」です。
原文はこちら。
東風吹江水
花開照顔色
相思人未歸
日暮隄上立
以上です。書き下し文では次のとおり。
東風吹江水: 東風,江水を吹き
花開照顔色: 花開いて,顔色を照す
相思人未歸: 相思えども,人,未だ帰らず
日暮隄上立: 日暮れて,堤上に立つ
歸は帰の旧字です。
東風とは春風のこと。
意味を追うと,このように。
春風が川の水面に吹き、花は咲き,鮮やかに目に映る。
しかし,思い人はまだ帰って来ない。
日が暮れて、堤の上に立つ。
前半は春の陽気,今のような信州も桜が咲き始めていますよね。
杏や梅ももっと早くに。
氷は解け、川は水かさが増し,緑が輝き始める,
その中でも大切な人がまだ帰って来ないと言う境地。また心情の対比。
きっとまだ来ないのだろう。
でも,ずっと帰って来ると信じて堤の上にて待つ。
そんな意味になります。
皆さんのお手本はどうか…が分かりませんが,
玄山先生のお手本,特に上と立にはカスレがあって,
どこか雰囲気があるように思います。
この一句に含まれる意味を表現したような…
そんな心持ちもいたします。
冬が明けるを待ち、
また新たな一年を迎える方も多い季節でございます。
今月号も是非とも頑張って参りましょう。
…と言ったところで,本日はここまで。
ちょうどお時間となった様です。
それではまた次回。
次回…ええ、松本市美術館友の会の記事を,
ひとつ用意しておりますので、そちらの更新となりますが。
宣伝ですが。
ともあれ。
では,改めましてここまでといたします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。

2025年03月17日
「紅顔(腮)花欲綻」白居易詩より(競書誌「書象」2025年4月号,条幅課題より)

・
・
こんにちは,あるいはこんばんは。
信州塩尻市、欅の森書道会のウェブ担当,宗風です。
書道教室の研修日と研修日の間に挟まりまして,
本日は条幅の課題に使われております漢詩,
これにまつわる一席にて,
しばしのご愉快,お付き合いを願っておきます。
気楽なところがよろしいんじゃないか…と言うところですが,
一生懸命に申し上げることにしております。
どうぞ終いまで,気を確かに持って,共に頑張って行こうじゃありませんか。
いや,本当に,今回は気を張りそうな内容なんです。
教室の予定につきましては,前回のブログにも書きました通り,
変更の可能性がありはするけれど,
基本はこれで行こう…が,12月まで定まっております。
念のため,以下に再び貼付ます。
4月7日
4月21日
5月12日
5月26日
6月2日
6月23日
7月14日
7月28日
8月4日
8月18日
9月8日
9月22日
10月6日
10月20日
11月10日
11月17日
12月8日
12月22日
各月前半が競書の提出日となっております。
・
さて,競書の課題「紅顔花欲綻」が樋口玄山先生より届けられました。
行書での課題【漢字条幅】ですね。
漢詩の一部である訳ですが,この語句を含む漢詩,
その環境を本日のお題としてございます。
白居易,白楽天については,
過去何度も課題として,
また作品制作としても出会っておられるのではないかと思います。
白居易の「新楽府」には「鹽商婦」と言う詩があります。
「鹽」は「塩」の旧字ですね。
塩尻市に住む私達でも馴染みが…馴染みは無いですかね。
松本市の私の実家近くに「鹽竈神社」があるので,私個人としては馴染みがあるものですが。
これは数多くの作品を遺した白居易の時代の中でも,
若い頃の「諷諭詩」のひとつとなります。
師自身が自身の詩風を「諷諭」「閑適」「感傷」「雑律」としており,
最も重きを置いたもの,志を高く持ったものが「諷諭」に当たります。
「閑適」は「独善の義」を表現するもので,日本では理想の生活として受け入れられたのだそうです。
よって志と言うより生活の切り抜き,情景,喜び。
「諷諭」は「兼済の志」とし,才ある者が広くその知恵を広げ,救済に努めるべき詩情とし,
端的に言えば「こうしたら良いよ,なんで世の中はこうならないのか,そう思うだろう」の感覚、
だので,今回の「紅顔花欲綻」もまた社会を風刺した内容の一部なのです。
「諷諭」は,おそらくは環境の変化により,
次第に書かなくなった…書けなくなったもの,と考えます。風刺だからこそ。
ちなみに。
出展が「鹽商婦」と特定してしまっていますが,
この中に課題と全く同一の語句は存在していません。
「紅顔花欲綻」は「紅花腮欲綻」として掲載されています。
「腮」は「あご、えら」と読みます。
体の一部を表すニクヅキに思と言う構造。
故に、やはり頬なども連想させますよね。
耳下あたりの輪郭部も「えら」と言ったりします。
まずは例によって原文を。
白居易「新楽府」より,其三十八「鹽商婦」
鹽商婦 多金帛
不事田農與蠶績
南北東西不失家
風水爲郷船作宅
本是揚州小家女
嫁得西江大商客
綠鬟溜去金釵多
皓腕肥來銀釧窄
前呼蒼頭後叱婢
問爾因何得如此
婿作鹽商十五年
不属州縣属天子
毎年鹽利入官時
少入官家多入私
官家利薄私家厚
鹽鐵尚書遠不知
何況江頭魚米賤
紅膾黄櫨香稻飯
飽食濃妝倚柁樓
雨朵紅腮花欲綻
以上が原文となります。
続いて書き下し文を。
鹽商の婦,金帛多し
田農と蠶績とを事とせず
南北東西,家を失わず
風水を郷と為し,船を宅と作す
もとは是れ揚州小家の女
嫁ぎし得たり西江の大商客
綠鬟,溜り去って金釵,多く
皓腕,肥へ来って銀釧,窄(せま)し
前に蒼頭を呼び,後に婢を叱る
爾(=然る)に問ふ,何に因て此くの如きを得たる
婿は鹽商となって15年
州縣に属さず天子に属す
毎年鹽利の官に入る時
官家に入るは少く私に入るは多し
官家,利薄くして私家厚くも
鹽鐵尚書,遠くして知らず
何ぞ況んや江頭魚米賤しく
紅膾,黄櫨,香稻の飯,
飽食,濃妝,柁樓に倚り,
雨朵の紅腮花綻びんと欲するをや。
…と言ったような書き下し文になります。
課題の「紅顔花欲綻」は字面だけ見ると,
華やかで素敵な想像と共にやって来ますが,
この詩は風刺のひとつですから,
実は顔を紅潮させ花のほころびを待つ,
春の様相だけれど,安穏と構えて聞いて良いか…
…と言うと少し違うようで。
「鹽商婦」の意味,続けて行ってみましょう。
塩問屋の奥さん,金持ちである。
農耕も養蚕も何もしていないのに,
南北東西,どこにでも家を持ち,
風水を故郷として,船にも住むことができる。
元々は,揚州の普通の家の女だった。
嫁いだ先が,西江の大きな商家の家だった。
黒髪の髷(まげ)には,金の簪(かんざし)が多くあり,
肥え太った白い腕には銀の腕輪が窮屈そうに付いている。
前を向いては丁稚を呼び,後方では下働きの女を叱る。
しかに問う。どうやってそんなに(金を)得たのか知っているのか、と。
婿は塩問屋の婿は,婿になって15年になる。
地方役人ではなくて,中央直轄だ。
毎年,塩の利益を収める時に,
政府には少なめに,自分の家にたっぷりと。
政府の利が少なく,私腹を肥やしていたとしても,
塩や鉄を管轄する役所は遠く気付くことはない。
増して,川の近くに暮らしていれば,米や魚は安く,
赤い肉,黄ハゼ,香稲(香の高い米)と食らい,
(膾はなます,酢の料理でもあり細切りの肉とも言い。
この場合は豪勢な食事だろうから肉なのかなぁ)
飽食し,厚化粧をし,(船を家にしているので)操縦室にもたれかかり,
雨滴の向こう,両の頬がだらんと垂れ,花のように紅くなっている。
…と言う様な意味ではなかろうか,と思います。
色々と資料を読み漁って作成したので,
私見も入っているし正確ではないかも知れませんが。
塩で利をたっぷりと得て,
ある意味不正もしてお金はうなるほどあるのに,
施すようなこともせず,もう遊んでいると。
良い所に住んで、良いものを食べて…それで良いのか。
何と言うか,白居易が生きた時代は772年から846年と言われているので,
そんな時代からも人の世ですから腐敗はあるよね…
…なんて思わずにはいられませんね。
今のテレビも多く,そうした部分が多いですものね。
いや、政治の話をしたいのではないのです。
大切なことではあるけれど、
趣味の、だからこそ楽しい書道教室だと思いますので、
そちらの話はそちらの方でが正しいかしら。
ともあれ、実は今回の課題の背景には、そんな白居易の思い…
…想いと言うか、風刺があるのだと、
長講一席,解説させていただきまして、
ちょうどお時間となっているようでございます。
それではまた来週の教室でお会いできる方はお会いいたしましょう。
宗風でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年03月11日
3月10日は欅の森書道会の研修日でした+2025年後半の教室の予定について。

・
・
こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市、欅の森書道会のウェブ担当、
お馴染み宗風でございます。少し間が空いての登場となります。
無沙汰を申し訳なく思っております。
何はともあれ、本日も気楽なところで一生懸命…と言うことですが。
本来は「三寒四温」と言う言葉は、
暖かいと寒いを繰り返して春を向かうような…
聞くと「七寒」の冬に比べて、ちょっと気分が上がる言葉かな、と、
個人的には思ったりもいたします。
今年はどうなんでしょう。緩やかに変わって来るというよりも、
ドンと寒く、ドンと暑く、1日のうちの温度差も激しく、
厳しい気候のことを「試される大地」なんと申したりする世の中ですけれど、
どこかそんな気配が感じられる…そう思うのです。
ともあれ、3月10日の欅の森書道会では、
月例、競書作品の提出日でありながら、
目下、書象展への作品制作が盛んに行われており、賑わっておりましたね。
皆さん、進捗はいかがでしょうか。
次回の3月24日が〆切となっておりますので,
どうか、お互いに励んで行こうではありませんか。
意気また努力が実りますように,祈っております。
・
また来年のことを言うと鬼が笑うなんてことを、よく申しますよね。
来年のことは申し上げませんけれども、
来年の直前までのお話があります。
2025年12月までの教室の予定が決まりました。
これは以下のとおりです。
4月7日
4月21日
5月12日
5月26日
6月2日
6月23日
7月14日
7月28日
(7月13日の日曜日は県展の添削会とのこと)
8月4日
8月18日
9月8日
9月22日
10月6日
10月20日
11月10日
11月17日
12月8日
12月22日
ついでに申し上げますと、
松本市美術館友の会の書道ワークショップが、
7月21日だったりします。今年で3年目です。
御子柴さんと共に、頑張ってやって来ますね。
こう、昨晩の後半にて、
池口さん、二木さんとお揃いのタイミングで、
玄山先生と共にスケジュールが決まっていきましたが、
「ああ、もう年末の話も出るのだなぁ」とは、思うものでした。
あっと言う間に過ぎて行くのですけれど、
でも「遠い話だなぁ」とは感じました。
それまで皆さん、元気に元気に元気に!頑張って行きましょう。
ちなみに。
現状の予定は一部で流動的となる場合がある、とのことです。
現に11月も連休を避ける場合に、続けての開催となっていたりします。
玄山先生が競書の審査を行われるそうで、
その対応との兼ね合いが出て来る…とのことでした。
変更などは連絡網なども含めてもお伝えして行きますので、
まずは年末までの予定を決めたよ…とご承知おき下さい。
先生から条幅のお手本は頂戴しておりますが、
まだ言葉を調べ切れておりませんので、
本日は予定のお知らせまでとなります。
来週までには言葉の解説でも1本,ブログにできると良いのですが。
三寒四温だけでなく、気圧も乱高下をしており、
気持ちも浮き沈みが激しいことこそ春の訪れのようにも感じます。
15日前後に競書誌「書象」の4月号も届くはず。
それでは皆様また次回にお目見えいたします。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
・
・
2025年02月26日
2月24日は欅の森書道会,教室の研修日でした。

・
・
こんにちは,あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会、ウェブ担当の宗風です。
さる2月24日は2月の研修日2回目でした。
いやはや、祝日と言うこともあって、
いつもの時間より少し早めに出掛けたのですが、
余裕で20時を過ぎ、かつその後にも多く添削待ちがありましたので、
21時は超えましたよね。
本当に、欅の森書道会の会員さん方は、皆さん熱心だなぁ、と思います。
だからこそ先生も更に更に熱心に、
教えを乞う私達にご指導くださるわけで、
玄山先生はもちろん、皆さま本当にお疲れさまでした。
実り多い研修日であったことと確信しております。
さて、次回は3月10日が研修日です。
この回で書象展用の添削会に向けて、一旦作品を預けることになる…とは、
玄山先生より、教室の中でコメントがありましたね。
そしてその次、24日で仕上げ、締め切りとなります。
それでも3月10日は競書の〆切り日ではありますので、
書象展の作品と併せて、月例の作品も励んで行きましょう!
…と、いうことで。
本日、まずはこちらのお知らせをば。

「第87回 謙慎書道会展」の開催がいよいよ、と言うことです。
【第 1 会場】東京都美術館
2025年3月18日(火)- 3月23日(日)まで。
9時30分から17時30分まで。
入場料は無料です。
【第 2 会場】池袋サンシャインシティ
ワールドインポートマートビルの4階展示ホールA
2025年3月16日(日)- 3月22日(土)まで。
10時から18時まで。
(入場は閉会の30分前まで。
最終日はPM4:30閉会)
こちらも入場料は無料です。
欅の森書道会からも長年技術を磨いていらした方々が出品されております。
卓越した技術が認められ、賞を獲得できると良いのですが。
・
・
さて、次の競書が出るまで言葉の解説的な部分も根多がなく、
どうやってブログの空きスペースを埋めようか…なんぞと思っております。
あ、硬筆用紙が届きました。
書象会の硬筆用です。
お知らせが目立たなかったのか、私以外はおふたりしか注文が無く、
いやはやしかし…と思って、余分に注文してあります。
「あ!硬筆の紙が無い!」なんて時にご連絡ください。
教室にも常に2冊、置いてありますので、自分が不在の際にもお持ちいただけます。
送料は購入した全15冊で割ってありますので、
1冊357円となっております。おひとりで買い求めるより、送料分はお得です。
あ、そうそう。
私、宗風は「日本酒のラベルを模写する時に、もっと上手く模写したい」から、
欅の森書道会へ入会した経緯がございます。
不純です。書の道を究めんと言う動機ではありません。
それでも今では、お陰様で書道を楽しんでいる訳ですが。
そんな訳で、私自身、いまだに知らない事が多く、
墨を擦ったこともなかったりします。墨と硯はあるんです。
でも、とにかくちょっとでも多く書いた方が伸びると思って、
墨を擦る表現の楽しみより、書き連ねて技術を上げることに執心しており。
そんな自分ですので、最初は筆もお湯で洗おうとしていましたね。
いや洗いましたね。何回か。
よく墨は取れるのですが、パサパサの穂先になるので、
人間の髪用リンスで洗ったりもしたことがあります。
仮名用の筆の糊も自分で付けてみたり…色んなことをしています。
その中でいまだに答えが出ていなかったのが、
「筆はいつ交換するのか」と言うことでした。
墨を付ければ筆は書けるので交換し時が分からないな…
…とりあえずまぁ書き慣れているこれで良いか…とここまで来て。
ふと玄山先生が前回の教室の上で呟いた言葉がトーンと響きました。
「あぁこの筆はもう毛が無くなって来ているなぁ」と。
あ、そう言う時に交換するのか。
そう思いましたね。
なるほど洗っていても書いていても毛が落ちることがよくあり、
それを繰り返せば、当然に筆の力が無くなる訳ですね。
墨付きの良し悪しだったり、割れやすさだったり。
なるほど、そうしたら交換なのか…と。
…言いながら、もう何年も使っている筆に手を伸ばして書いていますが。
極論を言えば、
弘法大師様も筆を選ばれて名筆って訳では無く、
筆を選ばずとも名筆なので、交換時期の筆で書いても、
立派に書作品をお造りになれるんでしょうけども。
こうちょっと筆に違和感があれば、
筆の寿命を気にしてみても良いかも知れません。
あと冬だと墨の温度も実は書きやすさに関わりがあるように思います。
せっかく書道を学び、作品を残すのですから、
少しでも良い作品となる様に、
そうした部分にも気を遣えたりすると良いですね。
…と、以上、そろそろお時間となっているようです。
たまにはこう言うお話も挟んでみても良いですね。
最近、教室には3名の新人さんがお入りに…矢口さんも含めれば4名様ですか。
良いですね。春の良い報せです。
落ち着いた頃合に是非ともインタビューさせてくださいね。
よろしくお願いいたします。
さて、これにてお開きといたします。
宗風でした。
本日もありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年02月18日
次回の欅の森書道会は2月24日です+楽毅論のお話など。

(適当な写真が無かったので、我が家の可愛いピーちゃんの写真でお楽しみください)
・
・
こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市、欅の森書道会のウェブ担当、お馴染み宗風でございます。
本日はいっぱいのお運び、誠にありがとう存じます。
気楽なところがよろしいんじゃないか…てンですが、
一生懸命、ちょっとややこしい噺を申し上げます。
どうぞ終いまで、気を確かに、ついて来てくださいませ。
先週は「もう春だ!」の暖かい週でしたよねぇ。
そして今週は「何十年に1回の寒波だ!」と言われています。
こう、ちょっと…ちょっとだけ、気を許したものですから、
また厳しい寒さ、冬に戻って体がビックリしてしまいますよねぇ。
ご体調、崩されておりませんでしょうか。
ご自愛くださいませ…と、時候の挨拶などをさせていただきましたけれども。
さて。
だいたいの流れですと「基本」の課題について,
ここで解説をしておく、なんてことになります。
2月14日には次回の「書象誌」が届きましたが、皆さまお受け取りになりましたでしょうか。
で、この【基本】課題の言葉を解説しようと調べましたが、
今回も出て来ませんでした。よって出典は分かりませんが、
ひとまず言葉を紐解きますと…。
「与君還舊好」
君とともに旧好を還す。
現代の漢字で表すならば「与君還旧好」ですし、
旧字交じりであるならば「與君還舊好」、こうなります。
組み合わせなど色々と調べてみましたが、掴めませんでした。
「旧好」「旧交」も同じ意味で使われますね。
どちらも正しいです。
久し振りに会って一緒に楽しむってかたち。
旧交を温めると言うシチュエーションは、
中国の漢詩にも文化人の集いにも、どちらにも触れるもので、
よくよく使われていそうなのに、
結果、どの漢詩に使われているのかなどが分かりませんでした。
行書の課題になっていますが、なかなか難しいと感じました。
いかがでしょうか。
「与」のサイズ感、大きさと共に、3画目をあまり右斜めにしてしまうと,
点のある空間がキツくなってしまう感じがします。
「君」も抜けの良さとしっかりと立った状態での表現を心掛けたく、
「還」も大き過ぎては「与」から三角形的な形に見えてしまい良くはない。
「舊と好」の連綿と「好」のキレの良さ、カスレなど自然と墨がなくなった表現、
その良さへの意識がないといけないな…と自分が書いたものを見て思っています。
このお話はここまで。
・
物心付く…と言うと、やや語弊がありますが、
私、宗風が欅の森書道会に通い始めて6年が経ちました。
最初からではありませんが、「古典」の課題にも挑戦しております。
初めて北魏の楷書を見た時には、その力強さに驚きました。
それまで北魏をよく理解していませんでしたし、
「始平公造像記」は憧れて本まで買ってしまいました。
書道を始めなければ知らなかった書体の世界だな、と。
物心付く…と言いたかったのは、つまり「古典」に取り組み始めてから此の方まで、
今回の「楽毅論」に触れたことがない、と言う気持ちです。
「ガクキ」と読むが正しいですが,「ガッキ」と読んでしまいますよね。
自分が入会する前にも課題としてはあったと思われますが、
それでも久し振りに挑戦する…なんて方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回の課題には「光明皇后の楽毅論」とあるとおりで、
他に「王羲之の楽毅論」もあります。
こちらが原版ですね。王義之のものを臨書したものが今回のお題。
どちらも楷書の宝とされるもので、
光明皇后の楽毅論は、正倉院に入っているそうです。
光明皇后は701年から760年まで生き、聖武天皇の妃であります。
「楽毅論」は、中国の三国時代、魏の夏侯玄(かこうげん)が、
更に昔、戦国時代の「楽毅」将軍について説いた文章であり、蘇軾が楽毅についた文章も他にあります。
「老子」の解釈も、人によって根幹の考え方に違いがあるなど、
今のように統一規格…標準化、インターナショナルスタンダードのある時代ではありませんから、
ひとつの本の解説本においても、何の校閲もなく、
自由に飛び交っていた…それはそれで楽しそうな時代ではありますよね。
楽毅は春秋戦国時代の「燕」の将軍で高い地位にありましたが名将常勝と言う訳では無く、
「王道とは?覇道とは?」と言った価値観から道を模索する…ような解釈で、蘇軾が語る文章を見掛けました。
夏侯玄は夏侯玄として王道の在り方、失敗した原因などを解説…想像…しています。
「老子」にある「道」と言う言葉の重みを考えると、
「道」が付くと、それはたいへんな重みを持つものになるようです。
王道、覇道であれば楽毅は大成したかも知れないが、
王者、覇者が到達点としていた部分に失敗があるのではないか…
では「道」と「者」の違いは何かと言えば、
「道」は続いて行くもの、「者」は成し遂げただけの者…成金?のような、
短期的なラッキーボーイ的な?そうしたニュアンスと感じました。
王義之の楽毅論、光明皇后の楽毅論。
もちろん楽毅論の中身にも。
ご興味ありましたなら、是非ともお調べになってみて下さいませ。
3月号の【古典】課題はそんなところより採用されております。
ご覧になってみてください。
…と、言ったところで、本日はここまで。
お開きの時間がやって参りました。
これまでの流れですと2字から4字になって6字から表現的臨書まで。
続いて行くと思いますので、楽しんでいきましょう。
それでは。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年02月11日
2月10日は欅の森書道会の研修日でした+条幅課題「影徒随我身」は李白詩「月下独酌」より。

・
・
こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市、欅の森書道会のウェブ担当、お馴染みの宗風でございます。
本日もいっぱいのお運びさまで、誠にありがとう存じます。
気楽なところで一生懸命,申し上げることとしております。
どうぞ仕舞いまで,ごゆっくりお付き合いを願っておきますが…。
さて。
冬なのに暖かいねぇ、雪が降らないねぇ…などと、
そんな風に言っていた時期もありましたね。
雪は、信州松本平としてはそんなには降っておりませんね。
北陸のほうは、また県内ですと飯山などのほうは、
とんでもないことになっているそうで、
連日報道なんぞされております。
かたや沖縄は20℃を超えておりますしね。自然の力、神秘を感じたりもしながら。
そうそう、このブログを書いております2月10日の夜なんぞは、
久し振りに諏訪湖で御神渡りが起きるやも知れぬ…と、
明るい声が聞こえておりますね。温暖化と言う昨今でありまして、
御神渡りは今後は無理かしら…と思ってしまっておりました。
それがこの寒さで覆される、季節は季節として巡って来る…
…そんなところでございましょうか。
2月10日は2月1回目の欅の森書道会、研修日と相成りました。
日取りの都合で、前回から少し離れての開催でした。
次回は15日付近の新しい書象誌の到着を経て、2月24日となっております。
それまで雪はどうなっているのでしょうか。
何はともあれ、励んで参りましょう。
欅の森書道会では,書象展へ向けての作品制作が始まっておりますね。
樋口玄山先生からお手本をお受け取りになりましたでしょうか。
年に1度の挑戦の場でございます。
ちなみに、書象展への申込については、
それぞれのお宅に届けられた振込用紙などを使って行います。
期限までにお済ませになりますよう、お忘れなく、お願いいたします。
・
・
では、例によって例の如く、言葉の解説に時間を頂戴いたします。
「影徒随我身」ですが「影」は「景」に同じ。
お手本としては「景徒随我身」と書かれています。
また「徒」も、このフォントとは異なり、つくり部の「土」以下に、
省略した表現が為されていますね。「我」もまた形に特徴があります。
お手本を元に、励んで行きたい…ということですが。
この言葉、「影徒随我身」は、
「影、徒らに我が身に随う」と読みますね。
「徒」は「いたずら」、「随」は「したがう」と読みます。
かの有名な詩の一部。
李白の「月下独酌」に、この句はあります。
お酒のラベルにデザインされている…なんて事もありますし、
島根県松江市には銘酒「李白」を醸す「李白酒造」もございます。
そんな「月下独酌」の原文はこちら。
「月下独酌」四首其一
花間一壼酒
独酌無相親
挙杯邀明月
対影成三人
月既不解飲
影徒随我身
暫伴月将影
行楽須及春
我歌月徘徊
我舞影零乱
醒時同交歓
酔後各分散
永結無情遊
相期邈雲漢
以上となります。
続いて、書き下し文だと次のとおり。
月下独酌 四首 其の一
花間,一壷の酒
独り酌んで,相親しむもの無し
杯を挙げて名月を邀(むか)え
影に対して三人と成る
月、既に飲むを解くせず
影、徒(いたず)らに我が身に随(したが)う
暫く月と影とを伴いて
行楽、須(すべか)らく春に及ぶべし
我歌えば、月、徘徊し
我舞えば、影、零乱(れいらん)す
醒むる時、同(とも)に交歓し
酔いて後、各々、分散す
永く無情の遊を結び
相期す、邈(はるか)なる雲漢(うんかん) に
以上、書き下し文でした。
花の咲く中で、酒壺いっぱいの酒を携えている。
一緒に楽しむ者もなく、独り酒を飲む。
盃を挙げて、綺麗な月に呼びかけると、
(月、私と)影で3人で飲むことになった。
月が飲めないことは分かっている。
影は私の動きについて来るだけのことだ。
しばらく月と影と一緒になって、
春を謳歌しようじゃないか。
私が歌えば、月もぐるぐる動くし、
私が舞えば、影もゆらゆらと動く。
酔いが回っていない時は一緒に楽しんだものだが、
酔ってしまうと、それぞれ別れ、元の姿に戻る。
永く何事にもとらわれずに付き合って行こうじゃないか。
次は遥かなる天の川あたりで、また会おう。
…と言った意味合いになるでしょうか。
華やかさがありますが、登場する人物はひとりだけ。
人に見立てた月と影でふたりめ、さんにんめ。
そこにどこか寂しさがある…とは解説文にありますが、
どうでしょう、
気楽さも個人的はある様な気がしています。酒飲みの性と言うか。
お酒は現代でこそ、「夜の作業の邪魔だ」なんて言われたりもします。
若者のアルコール離れは、
飲酒後の生産性効率の減退を招く…って、のたまうンですなぁ。
飲んでしまうと他のことができなくなると言う。
一理ありますが、それもそれで味気ない…なんて思ったりもいたします。
ならば時間を作って楽しめば、区切ればね、
それはそれで良いんじゃないかと思うんですよねぇ。
…お小言はともかくとして。
そんな隷書条幅の課題「景徒随我身」が入る詩仙「李白」の「月下独酌」、
この解説を申し上げまして、本日はここまで。
ちょうどお時間となっております。
それではまた次回に。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年01月22日
1月20日は欅の森書道会の研修日でした+「晴窓静繙書」について。

・
・
こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会、ウェブ担当の宗風です。
お馴染みさまでございます。
1月20日は二十四節気「大寒」の始まりでございましたですねぇ。
寒い寒い日…のはずが、
雪は無く雪は降らず…寒過ぎると凍って雪が降らないなんてありますけれど、
暖かい日でした。諏訪湖の御神渡りの夢は、
ああ今年も無理かも知れないと思ってしまう程に。
季節の動きは不思議なものですねぇ。
欅の森書道会では、来る6月の書象展に向けて、
樋口玄山先生よりお手本を受け取る…なんて時候です。
同時に書象会の新年会も26日に企画されており,風物詩ですよね。
書象展へは,いよいよと言うカタチで盛り上がって行こうかと、
そのような熱い時節とね、寒さとね、対比でね…
書きたかったがそうは問屋が許さなかった…なンてんで。
天候の右往左往は温度の乱高下を、
体調管理に支障をきたす…なんてことが多いので,
皆さま、どうかお気を付けください。
インフルエンザはもうAからBへと大人の階段を登りつつあり,
マイコプラズマ肺炎という踊り出しそうな流行も聞こえております。
温かくしつつ乾燥にも、ゆめゆめ注意なさって励んで参りましょう。
・
次回、欅の森書道会は2月10日が研修日となっております。
少し間が空きますね。
競書の提出日、〆切り日ともなっておりますので,
作品をお持ちくださいませ。
また1月20日では後半にご見学の方が1名様、お見えになりました。
一緒に励む仲間ができると言うのは良いものなので、
より良い結果となりますように。
また、お知らせとして「硬筆」課題に用いる紙の一括購入について,
この案内を入口のテーブルと黒板に張り出しました。
自分が検索した限り、硬筆に用いる紙はネット上などでフリーに販売されているものではなく、
入手経路としては、書象会の本部より入手するしかない…
…と個人的には思っています。見当たらなかったです。他には。
だので、是非一括購入で送料を人数割して、少しですがお得に購入しましょう。
2月10日に締め切りますので、チェックをお願いいたします。
また私、宗風に直接ご連絡していただいても対応いたします。
・
・
さて。
例によって、課題の句の解説をひとつ申し上げまして、
本日はお開きとさせていただきたいと存じます。
競書誌「書象」2025年2月号の【基本】課題は、
「春暁静繙書」ですね。
書き下し文では,「春暁、静かに書を繙(ひもと)く」となります。
この出典を探してみたのですが見つかりませんでした。
「春暁」と「静」の字から、
検索結果は孟浩然の「春暁」と「静夜思」について書かれたものばかり。
しかしながら、よく似た詩を発見いたしました。
宋の時代の章粲 (しょうさん)の詩を今回はご紹介したいと思います。
「晴窓静繙書」が含まれ、「晴窓、静かに書を繙(ひもと)く」となります。
どちらも情景、どちらも静かに本を読むのに適した雰囲気。
本の中身は似合う似合わないがありましょうけれども。
まずは原文。こちらです。
秋日懐松渓趙宰経父
晴窓静繙書、凝塵掩行跡
花影晝簾閒、苔痕秋径寂
憑高招遠風、緑流弄寒碧
緘情寄天涯、杳杳江閩隔
以上です。
続いて書き下し文を…これは私が書いております。
ご参考程度としてくださいませ。
タイトルは、
秋日に、松渓経て父を懐かしむ。
…だと「趙宰」が入って来ない。
人の名前や役職にも見えますが、いまいちヒットしません。
答えがないので、とりあえずこんな雰囲気で。
晴窓、静かに書を繙(ひもと)く、凝塵、行く跡を掩(おお)う。
花の影、晝の簾閒にあり、苔の痕、秋の寂しい径にあり。
憑高、遠風を招き、緑流、寒碧を弄ぶ。
緘情は天涯に寄り、杳杳、江閩を隔てる。
以上です。
語句の意味として難解な部分を追って行くと…。
凝塵=ぎょうじん、塵が積もること。
晝=昼の旧字。
憑高=ぴんこう、臨高に同じ。高所から眺める。
緘=口を閉じること。緘口令(かんこうれい)に使われる字。
杳=よう、はるかで遠いさま、奥深く暗いさま。
江閩=びんこう、地名。川の名前。
それを踏まえて、何となく意味を追ってみると…。
晴れた窓の下で静かに書を読む。
塵が集まり、足跡を覆う。
花の影が昼の簾の隙間から見える。
苔の痕には秋の小路に寂しくある。
高所にて遠くを見れば風を感じられる。
木々の中に寒風が吹き、葉を揺らしている。
想いはそっとしまっておこう。
遠く暗い江閩の向こうに。
…なんて訳でどうでしょうか。
大いに雰囲気だけで、何となく合わせて行った感じです。
正確な訳が見つかりませんで、
本当に字の流れ、思い浮かべる情景から書いてみました。
この初句が今月の課題…ではなく、
まぁ、よく似ている漢詩だね、と言うところです。
「春暁静繙書」の出典、どなたかご存知ならばご教示くださいませ。
では、本日はここまででございます。
ちょうどお開きと言ったところ。
それではまた次回にお会いいたしましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2025年01月07日
1月6日は欅の森書道会の研修日でした+条幅課題「患生於多欲」について
・
・

こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会、ウェブ担当の宗風です。
あけました。たいへんにめでたい年明け…
…となっておりますでしょうか。
新玉の良いスタートを皆々様、お迎え遊ばされているでしょうか。
今年は巳年と言うことですが、
我が家では先日も紹介いたしました文鳥のピーちゃんが、
連休の間に成長をいたしまして、
嬉しいやら寂しいやら、そんな年明けとなっております。
まぁなんにせよ、たいへんに可愛らしい。いやともかく。
最近、ピーちゃんのことばかり考えているので、
ふっと気を許すと、すべてピーちゃんの思考であります。
さて。
本年もこちら、欅の森書道会のブログは、
のんびりと更新して参ります。
予定、また研修日のご報告、書道展、展覧会の告知など。
出来るだけ、言葉の解説も行って参ります。
書法は各々の先生方にご指導を賜るわけで、
課題の言葉、時代背景、意味などは無くても良いかも知れませんが、
2000年以上も前の文人の魂が込められたもの…
現代に伝わると言うことは、意義あるものと存じます。
知っていただくことで、一助となれば幸いでございます。
・
まずはご報告で…
新春、2025年1回目の欅の森書道会、
研修日が6日にありました。次回は20日となっております。
当日は大寒前のこの時節において珍しい雨でしたね。
雨の日は総じて、どこか暖かくも感じるものですが、
日の光も少ない1日で、どうにも底冷えがする…そんな日でした。
雨の中、お足元が悪い中で、お集まりいただきまして、
銘々様、お疲れさま、ご足労さまでございました。

先達てお知らせした「松本市美術館友の会、会員作品展」が,
14日の休館日を挟んで16日まで開催されております。
欅の森書道会の皆様からお預かりした作品も展示しておりますので、
是非、足をお運び頂けましたら幸いです。
そして毎年恒例、年に1回の挑戦ですね。
「書象展」のお手本について、
樋口玄山先生よりお声掛けがありました。
お手本のご希望を提出していただいて、先生にお手本を揮毫してもらいましょう。
書象展の作品提出、その締め切りは3月24日の教室の際に、となっております。
励んで行きましょう。
また1月26日には書象会の新年会がありますね。
こちらも皆さん、お出かけの際にはお気をつけて。
・
・
さてさて、本日は競書誌「書象」の2025年2月号漢字条幅より、
「患生於多欲」について申し上げます。
「患いは多欲より生ず」として「患い」は「うれい」と読みます。
「うれい」は「憂い、愁い、患い」と3種類あり、
それぞれ良い心持ちではない意味ですよね。ついでに比較してみますと、
憂い:不安や心配
愁い:強い悲しみ
患い:病気など、健康への障害
この原文を調べてみますと、ふたつの由来に当たりました。
時代を追い掛けてみても、それぞれ前漢の頃ですので、
そう遠くは離れていないものです。
ひとつは、
司馬遷の「史記」、こちらは歴史書です。
こう言うことがあったよ…の文章。この巻92、淮陰侯列伝第32に、
「患生於多欲」があります。
もうひとつは、
「准南子(えなんじ、わいなんし、とも)」、こちらは思想書です。
紀元前122年まで生きた淮南王劉安が時の学者を集めて編纂したもの、とあります。
それぞれ文としても別の在り方です。
「患生於多欲」、良くないこと、患いとは多欲から生じる。
欲張りは良くないよね~…と言う意味としては同じ。
前後が違うと言うことは、もうこれは人の生きる道として、
紀元前からも「そうだよね、そりゃそうさ」の域に達していた…
…と言うことではないでしょうか。
今だって同じですよね。人の性は2000年では変わらないのですね。
「史記」では、
「患生於多欲、而人心難測也」とあります。
患いは多欲より生じて、人の心は測り難しければなり。
この項を読んでみると、身を尽くして主君に使えようとする武人に、
諭す方より出た言葉で、
死に物狂いで全乗っかりで「やってやろう!」と、
まわりが見えなくなっている様子で、
どんなに仲が良い人でも何がきっかけで殺し合いに発展するような、
そうしたことも起きているじゃないか。
人の心は推し量れるものではないから、
多欲よりどんな悪いことが生まれるかも分からないから、
もうちょっと落ち着きなさいな…と言ったような雰囲気です。
だいぶ略しておりますが。
実際に、戦乱の世の中ではありますから、
信じすぎも危ないよ…と言うのは、そりゃあ確かに、です。
この一節から「不世出」と言う言葉が出たのだとありました。
「准南子」では、
「福生於無為、而患生於多欲」とあります。
「福は無為に於いて生まれる。患いは多欲に於いて生ずる」
良いことは無欲から、悪いことは多欲から。
思想書らしい言葉ですよね。
書象誌の編集部さん方の心は、のみぞ知る…と言うところですが、
どちらかと言うと後者が出典のようにも思います。
新年の寿ぎに、ゆるゆるっとしてしまうところで、
少しだけ帯をギュッと締めるような…それも必要ですものね。
…と言うような解説を今後も続けて参りますので、
是非ともお付き合いを願っておきます。
書象会の皆様には是非とも口コミで広めていただきたいです。
是非とも。
また私自身が学者さんではないものですから、
私自身の学びと解釈の末ですので、
逆に気楽に、「こんな感じかなぁ」と眺めていただけますと、
知の一滴になりますと良いのかなぁ、というところで。
本日はちょうどお時間となっております。
お開きと相成りまして、それではまた次回。
新年のご挨拶と患いは多欲より生ずの一席でございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
・

こんにちは、あるいはこんばんは。
信州塩尻市・欅の森書道会、ウェブ担当の宗風です。
あけました。たいへんにめでたい年明け…
…となっておりますでしょうか。
新玉の良いスタートを皆々様、お迎え遊ばされているでしょうか。
今年は巳年と言うことですが、
我が家では先日も紹介いたしました文鳥のピーちゃんが、
連休の間に成長をいたしまして、
嬉しいやら寂しいやら、そんな年明けとなっております。
まぁなんにせよ、たいへんに可愛らしい。いやともかく。
最近、ピーちゃんのことばかり考えているので、
ふっと気を許すと、すべてピーちゃんの思考であります。
さて。
本年もこちら、欅の森書道会のブログは、
のんびりと更新して参ります。
予定、また研修日のご報告、書道展、展覧会の告知など。
出来るだけ、言葉の解説も行って参ります。
書法は各々の先生方にご指導を賜るわけで、
課題の言葉、時代背景、意味などは無くても良いかも知れませんが、
2000年以上も前の文人の魂が込められたもの…
現代に伝わると言うことは、意義あるものと存じます。
知っていただくことで、一助となれば幸いでございます。
・
まずはご報告で…
新春、2025年1回目の欅の森書道会、
研修日が6日にありました。次回は20日となっております。
当日は大寒前のこの時節において珍しい雨でしたね。
雨の日は総じて、どこか暖かくも感じるものですが、
日の光も少ない1日で、どうにも底冷えがする…そんな日でした。
雨の中、お足元が悪い中で、お集まりいただきまして、
銘々様、お疲れさま、ご足労さまでございました。

先達てお知らせした「松本市美術館友の会、会員作品展」が,
14日の休館日を挟んで16日まで開催されております。
欅の森書道会の皆様からお預かりした作品も展示しておりますので、
是非、足をお運び頂けましたら幸いです。
そして毎年恒例、年に1回の挑戦ですね。
「書象展」のお手本について、
樋口玄山先生よりお声掛けがありました。
お手本のご希望を提出していただいて、先生にお手本を揮毫してもらいましょう。
書象展の作品提出、その締め切りは3月24日の教室の際に、となっております。
励んで行きましょう。
また1月26日には書象会の新年会がありますね。
こちらも皆さん、お出かけの際にはお気をつけて。
・
・
さてさて、本日は競書誌「書象」の2025年2月号漢字条幅より、
「患生於多欲」について申し上げます。
「患いは多欲より生ず」として「患い」は「うれい」と読みます。
「うれい」は「憂い、愁い、患い」と3種類あり、
それぞれ良い心持ちではない意味ですよね。ついでに比較してみますと、
憂い:不安や心配
愁い:強い悲しみ
患い:病気など、健康への障害
この原文を調べてみますと、ふたつの由来に当たりました。
時代を追い掛けてみても、それぞれ前漢の頃ですので、
そう遠くは離れていないものです。
ひとつは、
司馬遷の「史記」、こちらは歴史書です。
こう言うことがあったよ…の文章。この巻92、淮陰侯列伝第32に、
「患生於多欲」があります。
もうひとつは、
「准南子(えなんじ、わいなんし、とも)」、こちらは思想書です。
紀元前122年まで生きた淮南王劉安が時の学者を集めて編纂したもの、とあります。
それぞれ文としても別の在り方です。
「患生於多欲」、良くないこと、患いとは多欲から生じる。
欲張りは良くないよね~…と言う意味としては同じ。
前後が違うと言うことは、もうこれは人の生きる道として、
紀元前からも「そうだよね、そりゃそうさ」の域に達していた…
…と言うことではないでしょうか。
今だって同じですよね。人の性は2000年では変わらないのですね。
「史記」では、
「患生於多欲、而人心難測也」とあります。
患いは多欲より生じて、人の心は測り難しければなり。
この項を読んでみると、身を尽くして主君に使えようとする武人に、
諭す方より出た言葉で、
死に物狂いで全乗っかりで「やってやろう!」と、
まわりが見えなくなっている様子で、
どんなに仲が良い人でも何がきっかけで殺し合いに発展するような、
そうしたことも起きているじゃないか。
人の心は推し量れるものではないから、
多欲よりどんな悪いことが生まれるかも分からないから、
もうちょっと落ち着きなさいな…と言ったような雰囲気です。
だいぶ略しておりますが。
実際に、戦乱の世の中ではありますから、
信じすぎも危ないよ…と言うのは、そりゃあ確かに、です。
この一節から「不世出」と言う言葉が出たのだとありました。
「准南子」では、
「福生於無為、而患生於多欲」とあります。
「福は無為に於いて生まれる。患いは多欲に於いて生ずる」
良いことは無欲から、悪いことは多欲から。
思想書らしい言葉ですよね。
書象誌の編集部さん方の心は、のみぞ知る…と言うところですが、
どちらかと言うと後者が出典のようにも思います。
新年の寿ぎに、ゆるゆるっとしてしまうところで、
少しだけ帯をギュッと締めるような…それも必要ですものね。
…と言うような解説を今後も続けて参りますので、
是非ともお付き合いを願っておきます。
書象会の皆様には是非とも口コミで広めていただきたいです。
是非とも。
また私自身が学者さんではないものですから、
私自身の学びと解釈の末ですので、
逆に気楽に、「こんな感じかなぁ」と眺めていただけますと、
知の一滴になりますと良いのかなぁ、というところで。
本日はちょうどお時間となっております。
お開きと相成りまして、それではまた次回。
新年のご挨拶と患いは多欲より生ずの一席でございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。